スピリチュアルババアも馬鹿にできない

前置き

こんばんは、ニートもどきです。

今日は雨が強い日でしたね、風もあって半袖1枚だと少し肌寒かったです。

最近は日がな一日引きこもっている訳ではなく、散歩をしています。

GW明けの雨だったからでしょうか、街に人が少なくて、歩きやすかったです。

 

最近、村上春樹の小説を読み返しています。

正確には、村上春樹の小説が英語に翻訳されたもの(つまり、洋書)を読んでいます。

今読んでいるのは、『The Wind-Up Bird Chronicle(ねじまき鳥クロニクル)』です。

Audibleを聴きながら、Kindleで活字を追っているので、Amazon、並びに、ジェフ・

ベゾスには足を向けて寝られません。感謝感謝。

 

中学だか高校の時、総合の授業で「テクスト理論」を習いました。

「文章は、それを書いた人間(作者)の手から離れた時点で独立したものになり、

読み手に多様な解釈を与える...」みたいな考え方で、厳密には違うかもしれませんが、

テクスト理論の立場から見れば、「村上春樹→翻訳者→読み手(→私)」と、いくつもの

段階を踏んでいる上、言語変換というノイズが入る分、オリジナルの文章が与えるはず

だった解釈から離れている気がします。

 

だから、素直に「村上春樹の小説を読んだ」と言っていいものか迷いが生じています。

ただ、「村上春樹の小説(を翻訳した洋書)(を外国人が音読しているのを聴きながら)

読んでいる」と毎回書くと、ひろゆきみたいになってしまうので、簡潔に留めます。

 

 

邂逅

私が村上春樹の小説と出会ったのは、ちょうど3年前の3月です。

新たな世界は簡単には開きません。経緯をお話しすると、少し長くなります。

 

恋愛にかまけていた私は、第1志望の大学に落ち、第2志望の大学に通いながら浪人生活

をしていました。いわゆる、「仮面浪人」というやつですね。

秋頃までは再受験するつもりもなく、適当にアルバイトしながら、高校時代の友人と

遊び暮らしていたのですが、熱をあげていた彼女と別れたり、コロナで大学に通う機会

が健康診断以外一切なく、あまりに「憧れのキャンパスライフ」と違いすぎたりして、

一念発起しました。両親は驚きつつも、家系的に浪人が多いので、許してくれました。

 

落ちた時に備えて単位をとる必要があるので、毎日授業には出ないといけません。

オンライン授業とはいえ、時期も時期ですから、絶対的に時間が足りない訳です。

まずはバイトを辞めました。次に、私は形から入るタイプなので、1000円を握りしめて

床屋に行きました。そうです、マルコメ君です。

 

髪を持たざる者になった瞬間から、街中でやたらハゲが目につくようになりました。

自分が周囲の視線を気にしているので、仲間を探そうとセンサーが敏感になるんです。

あと、陽が強いと、頭皮がヒリヒリします。新発見の連続でした。

 

閑話休題。頭を丸めて、心機一転。机に向かったものの、30分後には寝ていました。

英語の長文がどうしても嫌いだったんです。なぜあんなにつまらないのか・・・

そもそも現役時代は、数学のゴリ押しで事なきを得ていたので、単語帳すらまともに

開いたことがありませんでした。学校の昼食休みに友達と単語帳クイズをやっていた

ので、何となくは覚えていて、センター試験程度であれば読めますが、二次試験はそう

簡単ではありません。私の志望校は英語の配点が高かったので、逃げ道はなく、

何とかならないかと方法を探し、気づけば季節は冬になりました。

 

忘れもしない大晦日の夜、年越しの特番を楽しむ家族を背に、ひとり部屋に戻った私は

ある決意をしました。それは、受験までの残り期間で「洋書を読みまくる」ことです。

高校時代の英語教師が、「英語を読みたいなら、多読をしろ」と口うるさく言っていた

ことを思い出したのです。まともに勉強しようものなら、あまりのつまらなさに気絶

してしまうので、藁にもすがる思いでした。

 

とりあえず、Kindleのアプリを入れて、サブスクにも入りました。

単語帳も私にとっては無用の長物であると知っていたので、既知のストーリーに絞って

洋書を選定しました。ある程度は地で読めるので、記憶と重ね合わせたり、文脈から

推測したりして、知らない単語は無視するか、それっぽい雰囲気だけ掴みました。

Kindleには辞書機能が搭載されていますが、私は面倒くさがりです。使いません。

手始めに『ハリー・ポッター』シリーズを読んで、次にアニメを見たことがあるラノベ

の英語版、さらにはシドニー・シェルダンと数を重ねました。

 

ピーク時で10h、最低でも5hは洋書に貪りついてました。

何事も時間をかければ、ある程度できるようになります。某予備校講師が「英語なんて

言葉なんだ、やればできる」みたいに言ってましたが、激しく共感します。

 

そして、志望校に合格しました。ノリで挑戦してみたら、英検1級も受かりました。

 

もちろん、読書だけをしていた訳ではないです。

問題を解くためには、本文を読んだ上で、適切に言語化なりする必要があります。

そういうのはある意味テクニックなので、一朝一夕で身につくものではないです。

しかし、私の場合は、そもそも英文を読む気になれないことがボトルネックだった

ので、かなり改善されました。

 

学習の幅も広がりました。多読以外にも、AIに英作文を添削させたり、外国人とSNS

毎日チャットしたり、色々とやりました。台湾人の女の子が病んでいるという話を聞い

て、国が違えど、同じ人間で共通する部分があるんだなあと妙に親近感を覚えた記憶が

あります。そういう楽しさありきで、結果に繋がったのかなと思います。

 

長くなりましたが、そろそろ村上春樹との出会いが訪れます。

受験は終わりましたが、せっかく身についた習慣なので、洋書を読むことは続けようと

思いました。ただ、少しだけ趣向を変えて、あらかじめストーリーを知らない作品に

目を向けてみました。

 

まず、カズオ・イシグロの『Never Let Me Go(わたしを離さないで)』を読んでみたん

ですが、文章のテンポが外国っぽいというか、見慣れないもので拒否反応が出てしまっ

たんですね。それで、「日本人の作品なら読めるやろ!」と思い、名前だけ知っていた

村上春樹の作品を購入しました。

 

『Killing Commendatore(騎士団長殺し)』を最初に読んで、度肝を抜かれました。

独特の世界観もそうですが、文学を読んでいて性的に興奮したのは私にとって初めての

体験でした。男としての性か、エッチな描写があると作品に引き込まれます。

後は何より話が面白いんですよね。ADHDの頭の中みたいな混沌とした展開に、ページ

をめくる手が止まらなかったです。

 

1ヶ月かからず、村上春樹の長編小説は全て読破しました。

『Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage(色彩を持たない多崎つくる

と、彼の巡礼の年)』と『1Q84』、それから『Kafka on the Shore(海辺のカフカ)』が

お気に入りです。短編小説もそこそこ読みましたが、その後色んな文庫にハマって、

現在までお預け状態になっています。

 

タイトル回収

大変お待たせいたしました。

例に漏れず前置きが長い私ですが、ようやく本題に入ります。

 

最近、母から職場の同僚がスピっていて、やたら「〇〇の法則」やら何やらについて

話してくると愚痴られました。他人に迷惑をかけない範囲なら好きにすれば良いとは

思いつつ、話を聞きながら自分の中に「スピっている人はヤバい」という先入観がある

ことに気がつきました。

 

公園でポケモンGOをしていたら、暇か?と尋ねられ、間髪入れずに「神様を信じます

か?」的なことを言われ、スピリチュアルババアに囲まれた経験があるからか、

はたまた、Tiktokで弁財天を語るアカウントが「この動画見ると、宇宙預金から無限に

お金を引き出せる」などと宣っているのを見たからか分かりませんが、スピっている人

からは、関わったらまずいオーラが「ゴンさん」の髪の毛ばりに出ていると感じます。

 

ただ、「我以外皆我師也」という言葉があるくらいです。

スピリチュアルババアからも教わることがありました。

それは、「自分の意見や趣味趣向を恐れず、外部に発信すること」です。

 

私は内向的な性格というか、自己肯定感が低いというか、自信を持って自分の意見を

伝えることができません。例えば、「好きなアーティストは誰ですか?」と質問される

と、困ってしまいます。

自分よりもそのアーティストを好きな人がいるのは間違いないので、素直に答えて、

ニワカだと思われてしまったらどうしようと危惧して、自分に嘘をつき、安牌の回答を

してしまうのです。

 

このままではいけないと、ずっと思ってきました。

過去に経験した大きな挫折や失敗を振り返ると、自他関係なく率直な気持ちを伝えられ

なかったことが、もっと言えば、自分自身の気持ちを押し殺してしまっていることが、

問題の根底にあるのではないかと思えてならないのです。

 

周囲の視線を臆することなく自分であろうとするスピリチュアルババアは私にないもの

を持っています。私も彼らを見習う必要があると考え、生まれて初めて本心からの読書

感想文を書いてみました。

 

きっかけをくれたスピリチュアルババアに感謝しています。