一人暮らしを終えて①

こんにちは。
寝付けないので、ブログを書くことにしました。本日のテーマは、「一人暮らし」です。

 

前回の記事で「実家に引きこもり状態」という記述をしましたが、つい先日までは
親元から離れ、一人暮らしをしていました。だいたい1年弱ですね。


自分の行動の責任を取る必要はありましたが、良い経験だったと思います。
金銭然り、失ったものも多いのですが、精神的に成長する貴重な機会を得られたので、一人暮らしをしたこと自体は全く後悔していません。
色々と語りたいことはあるのですが、それらに触れる前に、
今回のPart1では「なぜ一人暮らしをするに至ったか?」という話をしましょう。

 

Q. なぜ一人暮らしをするに至ったか?

A. 遊びたいだけの皮相浅薄な人間だったから。


そもそも私の実家からキャンパスまでは、"door to door"で1h強の距離にあるので、
正直、一人暮らしをする必要性はありません。
実際、1,2年生の頃は実家からカタンカタンと電車に揺られて通学していましたが、
「電車の都合で1限に間に合わない」などのトラブルは皆無でした。

 

ただ、2年生の中盤になると、事態は変わってきます。
成人した私は典型的なイキリ大学生、もとい、盛りのついたサルになりました。
文面にするのも恥ずかしいですが、必修以外の授業をサボっては、ギャンブルに興じるか、マッチングアプリに精を出し(掛け言葉)、夜は連日のように友人と飲み歩き、とにかく浮かれていました。かつて小児喘息で苦しんだにもかかわらず、タバコも覚えて、「The(アホ文系)大学生」の生活を謳歌していました。
高校までは、美容院を含むオシャレを禁止されていた他、早い時間の門限を設定されていたり、行動範囲を極端に制限されていたりと、端的にいって抑圧された状況だったので、その反動だったのでしょう。何はともあれ荒んだ生活を続けました。

 

その結果、朝帰りが増えたことに対して母から苦言を呈され、実家に居るのが気まずくなりました。それだけならまだよかったのですが、母は普段から、歴とした根拠もなく私を疑う節があり、この時期は「薬物をやっているのではないか?(当時の私はかなり痩せていたため)」などと詰問してきて、めちゃくちゃ不愉快でした。ビタミンCと亜鉛くらいしか摂ってないのに。

また、同時期、父がコロナウイルスのワクチンに反対する、いわゆる「反ワク」に身を翻して、「ワクチンを打ったら絶縁」という意味不明な宣言を発令したこともあり、家全体の雰囲気が悪くなりました。


家族に会うのが嫌すぎて、終電まで遊んだ後、わざと1hくらい散歩していたので、月の平均歩行距離が10kmを超えることはざらでした。(画像①)
季節が秋〜冬にかけてだったので寒さが身に染みたのと、身長を盛るためにウォーキングに不向きなハイソールの靴を履いていた関係で足が毎日痛かったことを覚えています。

 

画像①:該当時期の歩行距離

 

家がギスギスし始めたタイミングで、すぐに不動産会社を訪ねて、大学まで電車で30min程度のエリアにある物件の内見に複数回行きましたが、「(1)住みたいと思える物件がなかった、(2)遊びすぎて単位が取れず留年するリスクがあり、その場合の学費は自分で支払う必要があるので、キャッシュを温存しておきたかった」という理由で、大学の成績が発表されるまでは、耐えました。
入学直後から時給の高いアルバイトを友人に紹介してもらえたことに加え、勉強そっちのけでそちらにフルコミットしていた甲斐もあり、幸い、金銭的なゆとりはあったので、初期費用や生活費などは自分で賄いました。

ちなみに、一人暮らしの打診にあたり、冒頭の理由を馬鹿正直に伝えるわけにはいかないので、「環境を変えることで精神的に成長したい」という建前の一点張りで勝負しました。

 

一人暮らしに対する家族の考え

当然ですが、両親からの全面的な賛成は得られませんでした。

ただ、父は「経済的合理性に欠けるが、一人暮らし自体は推奨する」という言葉と共に、賃貸契約の保証人を引き受けるなど、協力してくれました。
私と父は性格が似ている部分が多いので、そもそも私の素行については目を瞑ってくれていた上、我儘に自由を主張した私に共感の意を示してくれました。父自身、学生時代に数年間だけ一人暮らしをしていたので、肯定的だったようです。

一方、母は断固として反対の姿勢を貫きました。
私が真面目な気性ではないのを熟知しているので、学業成績や就活を心配して、
大学3年の内は実家に留まるように再三主張していました。

話し合いはもつれ込みましたが、私が「何も問題ないから、一人暮らしさせてくれ」と訴求し続け、最終的に母が折れる形となりました。

 

今冷静に振り返ると、「大学3年生の時点で一人暮らしをさせるべきか?」というテーマにおいては、間違いなく両親が正しかったです。私が阿呆でした。


ただ、我が家では圧倒的に「対話」が不足していました。
相互理解や意思疎通が不十分だったのは明確なので、事態がややこしくなる前に
腹を割って話し合うべきだったと思います。