lazy_pig’s blog

知り合いは 気づいたとしても 回れ右

頭ん中を整理する

ほぼゴミ箱である

 いつぶりにブログを更新するのだろうか。数ヶ月開いた。

 

 日常生活が割と充実(ここでは、「何らかのやることがあって、余暇が少ない」という意味)していたので、ボーッと散歩しながら何か頭に浮かんだくだらないことを文字として残す余裕がなかったのである。平日は授業が平均3コマ入っているし、予定がない場合は図書館で勉強するようにしていた。土日はもっぱら、彼女とデートするか、趣味の料理に興じていた(ただ、それ以外は課題と授業内容のキャッチアップで手一杯だった)。なお、就活は春休みから始めることにした。なぜならば、働きたくないから。

 

 (謎にとった)ゼミで教授に「向いていると思うから院進してみれば(意訳)」と提案を受けて糠喜びして、(彼女や一部の同期も院進するため)院進を真剣に考えてみたが、「不可逆の選択肢」を迫られる局面(就活 or 院進)において、アカデミアの道に全力で舵を切るという決定は、なかなか選べるものではかった。周囲の院生は(多からず)研究室で無償の労働力として使われている状況を把握していたからだ。とまれ、院進という選択肢も魅力的で、そういった悩みもあり、とりあえず体系書を復習したり、苦手意識のある数学に図書館に籠って向き合ったりしていた。両親に相談したところ、「応援する、金は気にしなくて良い」という何とも贅沢な返答をもらったが、3年弱就労して精神疾患に罹って、今でも不眠(薬がないと日中外に出て運動をしても寝られない)と(たまの)不安・陰鬱感に苛まれている現状と比較すれば、「院、研究」という孤独で閉鎖された空間に自らの身を置くことは、リスクだと考えた。年齢で、これ以上就活市場でビハインドを抱えるのは、いただけないという判断でもある。ゆえ、就活という選択肢しか残されていない。とある講義で教授から「就活をするという選択肢しか持っていないのは、人間として自由ではないのと同義だ。大学で何を学んだ、知性を活用できていないことを恥じろ。(超意訳)」という(個人にではなく)学部生全体に対しての叱責を受け、「お前も著書に就職したくなかったから院進した、それしか選択肢がなかった、と書いていたじゃねえか」という反抗心50%、大学1年時に司法予備試験から逃げ、学生社員として就業し、学業を等閑に得た「可処分時間」と「機械への苦手意識のなさ」いう比較優位を使ってある程度の地位(および、おおよそ学生には奢侈な給料)を得てしまったことで、過剰な自信と自尊心だけが肥大化した過去の自分を想起し、教授の主張に反論の一つもできない自分の愚かしさに対する情けなさ50%に陥って、なんだかやりきれない気持ちでいっぱいだった(「複雑な感情」ではあったが、便法としてのこういった二分法である程度正確に当時の心境を描写できているので問題ない)。

 

自問自答の日々だった

 とにかく本を読んだ。教授が紹介するものは片っ端から買った。量が多すぎて途中からは図書館にないものだけを買った。相変わらず、金がない。働く気も(今は)ない。
(が、地域の介護現場や、中小企業の実情を自分の目で見たいという思いがある)

 

 手元にないものも、全てメモに残した。なぜか哲学を紹介されることもままあった。「哲学?なぜ。」と綾波レイみたいな心境でいたが、メタサイエンスを学んだ結果、なるほど全ての学問は固定的ではなく、流動的なままだからこそ学問なのだ、と自分なりの結論を得た。哲学の「て」の字も知らないカスだが、別言すれば「論考の蓄積」であって、何だか少し大学教育に関しての意識が変わった気がした。そして、膨大な文献資料の蓄積を紐解いていく歴史家やメタサイエンスの研究者に対する畏怖を覚えた。当然のことながら、「〇〇市史」といった地域史は分冊化している上、一冊あたりの分量が非常に多い。それらを貫く主導的原理を見出すことのできる慧眼にも恐れ入る。

 

 実際に気になった地域を訪れることもあった。特に某市には、従前から興味を抱いており、とりあえず史跡と周辺地域を散策した。来月あたりにも再度訪問する予定である。何だか坂だらけの某県には縁を感じている。某市に興味を持ったきっかけは、休学中に読んだ、某コンサルのレポートである。たしかヘドニック価格法を用いて、史跡がもたらす経済効果を算出しており、その参考文献にたった一冊、環境経済に関する「入門書」が挙げられており、爆笑したからだ。


 学部生は「お客様」という論調の体系書に何度か遭遇したし、実際にそういった教育方針をとられる先生方は少なからずいる。そんな中、別のとある教授は、「対価を払って高等教育を受けているのだから批判的検討の癖くらいはつけろ」という風におっしゃっていて、それは確かにそうだと思った。というのも、近年、選挙に当たって、世論を扇動しようとする謎の存在を各種動画サイトを中心に目撃しており、大変違和感を持っていたからである。また、私の父は反ワクで、母もスピっているおり、「対話」を求めると、突然逃げ出すので、批判に晒されることを覚悟せずに、他人に「ドッジボール」を仕掛けてくる精神性に対して、時折苦言を呈することがある。両者、大卒の50代だがかくも簡単に根拠なく盲信することに驚きを隠せない。

 

 「働きたくない」といったが、それは嘘である。過労で体を壊すくらいにはワーカホリックである。不安障害もあるので、結局、別の領域(学業)においても、夜なべして資料を作ることは頻繁だった。要は、完璧主義なのである。これは、自らに期待する実力と実際のそれが噛み合わず、自己肯定感が下がる上に、他人に対する期待が無意識のうちに上がってしまい、有害な存在となり得る(実際、そうだったと認めて反省した)ので、変えなければならない。周囲がイエスマンばかりだったというより、確かに相対的に成果・実力があり、かつ、(棚卸しのために、新書より文字数の多いマニュアル作成やOJT、フォローアップまでやっていた、という弁解はしたいが)職務を構造上、寡占していたので、一時期buzzwordとなっていた「心理的安全性のある環境」を演出できていなかったのだと痛感した。もっと泥臭く、感情的で他人の手を時には借りるような「人間感」を露骨に押し出していこうと思う。生育環境でウダウダいっても、不可逆なそれは変えようがないので、精神疾患含め、「良い勉強代」と捉えて、切り替えていければと思う。また、同時に、フレッシュさが失われている感じがあるので、態様や言葉遣いをある程度チューニングする必要性も感じている。今はとりあえず、「学術的に認められて、かつ、必要な情報」を得る際に、とにかく査読つき論文や名著(外国語)に限らず、日本語で、しかも新書でもいいから、まずは期限内にある程度のアウトプットを出す・他人に任せるところは任せる、という方策を試験的に採用してみた。結果、友人とは呼べない(遊びに誘われて断ってしまった自分が悪いのだが)ものの、「顔見知り」くらいの存在はできたし、周囲からの評判も割合高いようなので、概ね順調である。

 

 

 他にも「なぜ大学にいるのだろうか」とか「なぜ生きているのだろうか」とか、「幸せとは何だろうか」とか、とにかく悩んでいた。今もその途中にいる。ただ、ネガティブな悩みではないのと、そういった関心が湧く程度に精神が成長しようとしていることに意味を感じる。一年ほど治療を継続して、社会復帰できてきた実感があるのも良い。

 

最近の過ごし方 

 12月以降、怒涛のスケジュールだった。ただ、あくまで私の基準比なので、実際にはなんてことないのかもしれない。

 まず、ライブに行った。チケットは彼女がくれたので、交通費だけで済んだ。本当は10年来の友人と昨年Hydeのライブに行く予定だったが、ストレスで(?)血便が止まらず、仕事も終わらずで精神が終わっていたので行けず(金は払ったが本当に申し訳ない)、数年ぶりだった。楽しんでいて良かった。好きなアーティストであることは知っていたが、そこまで深掘りしなかったので、有名な曲以外は初めて聞いた。それでも楽しかったし、何より一番の発見は、「行動の決定・人格形成」に「音楽(というより、自分の好きなモノ・人の思想)」が寄与しているのではないか?という仮説を抱いたことにある。言ってしまえば当たり前なのだが、比較静学というか、違う切り口からモノを見ると、世界は違うように見えることを体験して、気づきを得た。

 

 次に、クリスマス(24,25日両日)に大喧嘩して別れかけた。喧嘩の内容や過程は捨象して、得た教訓だけ書き記したい。

  1. SEXは良好な関係構築・維持に必須である。
  2. 浮気は全力で誤魔化す・過去のそれであっても徹底的に否定する。

私目線では、現在も良好な関係だと思うが、過去に浮気されたことがあるので、面倒ごとになるようなら、関係を解消すべきだと今一度心を改めよう。

 

 そして、年末年始はひたすらキッチンに幽閉されていた。料理上手で、餃子も皮から作り、スパイスカレーにこだわる私(しかも完璧主義という最悪の性格)には、妥協は許されない。単独でおせちづくりをするのは初体験だったので、大変だった。だがしかし、おせちは手作りであるから美味いのだ。数万のおせちは見栄えは良いし、具材も豪華だが、なんだか侘しい。特に、昆布締め。

 

 最後に、正月休みは読書と課題で終わった。一日最低でも12h以上は何かしらの勉強をしていた。制度的知識を備えていればどうにかなるような課題は、専門科目にないので、自分の中に落とし込む必要があるのが、大変であった。終わりが見えるまでは辛くて、定期的に幼児退行していた。締切はだいぶ先だが、専門科目とゼミの課題や試験が15近く残っているので、何とか乗り越えたい。正月に奮闘していた科目は、履修者の7割弱近くが単位を落とし、いわゆる「可」でギリギリ成績を取った生徒も含めると、9割にのぼる(過年度の成績分布が公開されている)。ただ、定年間近になっても教育や公務の他に、研究を続け、論文を出している方のようで、やはりそういった教員からの指導には「厚み」があるので、こちらも頑張ろうと思える。中には、現在進行中の研究が何か各種サイトから確認できない上、「論文」も出しておらず、講義内容も衝撃的なものも(ごく稀に)存在する(と大学にちゃんと通うようになって初めて気づいた)ので、それよりはむしろありがたいなと思っている。

 

 試験が終われば、いよいよ本格的に就職活動を始める。社員・役員にガン詰めされる経験はもう十分しているし、「年齢を重ねた大人」でも、別に全員が尊敬に値するわけではないと、経験則として理解しているので、そういった意味ではメンブレ(ex. NNT 「無い内定」と阿鼻叫喚している〇〇卒)しない、その辺の学生よりは耐性がついていると思うので、それなりに準備して、とりあえず社会人になる資格を得られれば良いなと考えている。4年生になると皆必要最低限の単位とゼミ(+卒論)だけ取って、ほとんど暇らしい(サンプル:高校同期、大学同期、某国立大の元彼女)が、とりあえず「数学(主に解析学)」, 「コアコース」, 「特定の専門科目に関するゼミ」を軸に(これ以上、留年しないように単位を確保した上で)履修してみようと、大学に真面目に通い出して、半年経った今は考えている。この考えがどこまで通用するかどうかは、秋頃の自分がアンサーのエントリーをきっと書いてくれるはずだ。あと忘れていたが、住民税と社会・年金保険料からあと少しで解放されるのが何より嬉しい。税金は取られるだけではなく、受益する分もあるため、額面だけではなく、その内容に踏み込んで議論をすることが重要であろう。とりあえず、医療費の3割負担は、もう少し全面的にアピールしてもいいのでは無いかなぁと思う。デザイン思考というか、「税の痛み」が「受益感」を上回っている感は(新卒2,3年目くらいの税金しか払っていないが)あるので、自発的に感じ取れるような設計がなされると、喜んで税金を払おうというインセンティブが生まれるのではと(御坂は御坂は)思ったり。