思うに
人が何か自分の中に内包したモノを外部に発散する時、今の世には種々さまざまな媒体
がある。発信の形態に関しても、大別してテキスト・音声・動画と3種類に分かれ、
さらに細かくすれば、ブログ、詩、歌、画像とキャプション、映画など、幅広い手段が
考えられる。同じメディアでもプラットフォームが異なれば、受け取り手も変わる。
私がブログを選んだ理由は、3つある。
① 活字が好き。
当方、デジタルネイティブである。
振り返ると、小学生低学年の頃から携帯小説を読んでいた。
いつも母親の携帯をせがんで、せっせとiモードを使っていた。
初まりは、祖父母の住む田舎への帰省だった。電車に数時間乗る必要があり、道中の
暇潰しにニンテンドーDSでポケモンをやっていたが、充電が足りなくなった。
退屈だと可哀想だからと見かねた母親が「携帯でゲームが出来るよ」と貸してくれた。
幼い子供は探究心が強いもので、教えてもらったゲーム(サザエさんの波平みたいな
キャラやゴリラが出てくる、テトリス的な何か)だけでは飽き足らず、自分で勝手に
アプリを漁っていく。その時、携帯小説と出会った。
タイトルは忘れてしまったが、バーテンダーのシルエットをしたキャラクターが「涙の
雫を選んでください」と聞いてきて、選んだ雫の色に応じた恋愛小説を読めた。
記憶に靄がかかってほとんど思い出せないが、小学生には全くもって似合わない昼ドラ
さながらの内容だったと思う。好奇心をくすぐられて、すぐに夢中になった。
もちろん、年齢に見合った少年らしい本もたくさん読んできた。
ちょうどビブリオバトルや読書マラソンといった企画が国語の授業で導入されたことも
あり、図書館の本を片っ端から読んでいた。江戸川乱歩、星新一など、児童文学の有名
どころは大体網羅した。「怪談レストラン」というアニメに影響されて、ホラーにも
どっぷりハマった。ホラー映画を好んでいるのはこれがルーツかもしれない。
その他、海外小説、伝記、図鑑、天体、神話etc...興味があるものは片っ端から読んだ。
ただ、その後、地元のクラブチームに入って平日も休日も運動ばかりしていたので、
2年近くは自主的に本を読むことがなかった。中学受験が読書と再開する契機だった。
読書量のおかげか、国語はずっと得意で全国模試で名前が掲載されることもままあった
が、クラスに馴染めなくなり悩んでいた時期に突然、文章が読めなくなった。
いや正確には文章は読めるのだが、「ただの身体的な目の動き」とでも形容すべきか、
ムーディー勝山もビックリするレベルで右から左へと内容が抜けていくようになった。
国語だけでなく、他の成績も滑り台を下るように落ちていって、いやぁまいったなあ...
と思っていた矢先、国語の授業で随筆文の題材として、とある小説が登場した。
題名を書いてしまうと、一撃で家族や知り合いに身バレしてしまうので、サジェストに
引っかからないためにも明記は避けるが、とにかくその小説が私を救ってくれた。
ほんの少し問題文に出てきただけの小説に惹きつけられるものを感じて、父親に
Amazonで購入してくれないかとその日に頼んだ。商品が届いた日に読破して、続編も
また同じように買ってくれと懇願した。
ウチの父親は、世間一般的にあまり褒められた所がない男だろう。モラハラだし、すぐ
癇癪を起こす。でも、たった一つだけ自分も見習いたい、認めている良い所がある。
それは、本を大量に読み、本だけは頼めば買い与えてくれるところだ。
書斎に政治や経済の専門書、ビジネス書から語学学習本、小説からガッツ石松の自伝
まで幅広いレパートリーが揃っていたおかげで、私は本を読む習慣がついた。
まぁ最終的に成績自体は全盛期ほど戻らなかったし、第一志望にも落ちたのだが、
その後の人生を含めて、道に迷ったら本を頼る習慣がついた。本当に何度も救われた。
② 4にかけた時によくわからんブログをみた
当方、鬱病である。
今年の頭は、本当に地獄のような日々を送っていた。
潔癖の気があるにも関わらず、風呂に10日以上入らないこともザラで、体重も2倍に
なった。「風呂キャンセル界隈」なんて言葉が流行っていたが、笑い事ではない。
一人暮らしをしていた中、大学を留年をしたので親から事情聴取を受けることになり、
半年ぶりくらいに電車に乗ろうとした時、線路に吸い込まれる感覚がした。
これは流石にヤバいなと思い、「線路 死ぬ ヤバい」のような、小学生がエロ動画を
検索する時のワードよりも低次元のそれを頼りに、救いを求めてWebの海に潜った。
そして、どこの馬の骨かも知らぬおっさんのブログと出会った。
もう内容を全く覚えていないが、とにかく精神科に行けと書いてあったので、その場で
最寄りのクリニックを予約した。おかげで今このブログを書けているよ、おっさん。
少しずつ回復していく中、あまりにも暇だったので何かやりたいなと考えていた矢先、
おっさんのおかげで自分が救われたことを思い出し、ブログを書くことにした。
周囲の人間にも言えていないような、恥ずかしいエピソードがそれなりに私の人生には
詰まっている。音楽の力で自分を鼓舞し、時には読書の楽しみに現実逃避して、のらり
くらりとやってきたが、もしかすると回り回って私の恥がどこかの馬の骨を救う可能性
がある。だったら、書いてみようじゃあないかということで、このブログを始めた。
なお、まだ恥エピソードは10%も書いていないし、最近は英語のことばかりで、失踪の
可能性も否めない。ユーザー名を見てくれ、そこに答えがある。
③ ブログはペットを飼うことに似ている(と思う)
さて、やっとこさタイトル回収である。
どのような形であれ、自分の内なる考えを表現したコンテンツを生み、それを電子の海
に流すと、何かしらの反応が返ってくる可能性がある。海に瓶詰めの手紙を流すのと
何ら変わらない。時代が変わって、やり方と反応する人が増えただけだ。
だが、プラットフォームや表現方法によって、その反応する人の数は大きく変化する。
例えば、X(旧:Twitter)に愚痴だの自分の考えなどを垂れ流してしまったら、それは
もう大変だ。ひとたび誰かしらに拡散されると、とめどない勢いを生む可能性がある。
瓶を1つだけ流したつもりが、HUNTER×HUNTERのコルトピが大量に現れて、念能力
でオリジナルの瓶をコピーされまくった気分になること間違いなしだろう。
その点、「はてなブログ」はちょうど良い塩梅になっていると思う。
毎日トレンドワードだの、運営が提供するテーマだのでブログを更新していない限り、
それこそ十年単位でやってもせいぜい数百人しか購読者がつかないように見える。
(新参者の主観なので違ったらゴメンナサイ、Xとかでブログを宣伝してる人は例外)
要するに何が言いたいかというと、届けたい人にだけ届いてほしいと思う。
質問・悩み掲示板とかで誰かの悩みに答えられるほど、偉い&暇な人間でもなければ、
動画サイトで顔出しで「あの時こんな辛かったけど今は幸せ!そんな私のマインドを
紹介する情報商材はこちら」みたいなことをやる気も毛頭ない。
自分語りのオナニー日記を見て、誰かが勝手に励まされてくれればいいと思う。
ブログを書くことは、ペットを飼うことに似ている。
動物がペットになれるのは、会話ができないからだと思う。
もしもペットが人間の言葉を喋ったら、多分ペット飼うのが億劫になる。
「おい!飯と水よこせよ!」「うんこ片せよ」とか言われるとか、クソニートやん。
いや勿論、意思疎通ができたら素敵だなと思う人もいるだろうし、実際そういうケース
もあるだろう。でも、だったら人間で良くない?ってなる。
例えば、結婚してなくて友達もいない、でも一人だと寂しいという人や、人間関係に
疲れてしまったという理由でペットを飼っている人は、程度に差はあれど、誰かしらと
意思疎通をとることに辟易しているはずなので、喋るペットは好きじゃないと思う。
ブログも同じでたくさんの人が見て、グチグチ言ってきたら書くのをやめてしまう。
綺麗な締め方思いつかない。ほんとは彼女の話をするつもりだったんだが、脱線した...